『千壽萬壽』(富田昌宏句集

青麦(昭和三一年~三五年)


1 手枕の母の宵寝やお蠶疲れ
2 百姓に相続税や花大根
3 豚の子のつぎく生れ春雷す
4 夏痩の馬のあばらを洗ひけり
5 虫の音やしづかに閉づる農日記


薄暑(昭和三六年~四五年)


6 春暁の土ざつくりと掘り起す
7 乳しぼることを日課や柿若葉
8 塗り終へし畦ひとすぢに光りけり
9 柿吊し大根干して冬に入る
10 葱洗ふべく寒水を溢れしむ


水盗む(昭和四六年~五三年)


11 五六束藁を打ちたる農始め  
12 青柿や百姓一揆いつも悲し
13 水盗む大地に五体はりついて
14 生涯を農夫農婦や鳥渡る
15 斧を振る寒林痛き音返す


自画像(昭和五四年~五九年)


16 稲減反末法の世や農始め
17 祖父の鋤父の鎌継ぎかげろへる
18 穴の如し青田の中の休耕田
19 秋の蝶離農一家の荷にすがる
20 冬の田のすべてが終りすべて眠る


栃木弁(昭和六〇年~六十三年)


21 卯の花や妻に引き継ぐ田水番
22 芋の露北斗傾けゐたりけり
23 冬田茫々わが胸中の未完の詩

24 種蒔くや命こぼるゝ五指の間
25 百年を煤けし梁や寝正月


農業賛歌(平成元年~四年)


26 農業に生きる矜恃や春一番
27 田植機の愚直にすゝむほかはなし
28 夏草や瑞穂の国の減反田
29 新藁や光となりて散る雀
30 父を継ぎ子へ継ぐ運命里神楽


秋耕(平成五年~九年)


31 畦焼くや地下足袋ずぶと水に浸け
32 息づまる麦の青さやわれ農夫
33 秋耕の夜は自分史の稿起こす
34 職業を農と記しぬ文化の日
35 一身をいま日に晒し冬耕す


落し水(平成十年~十五年)


36 星屑のあふるゝほどに田水張る
37 一粒を噛んで早稲田を刈り始む
38 田を打つて打つてこの里守り来し
39 農に生き土に還る身初山河  
40 予後の身の水に躓く田植かな


松の芯(平成一六年~二一年)


41 ふるさとの竹に色あり竹の秋
42 転作を重ね葦田となりにけり  
43 種蒔や句は生活の句読点
44 農捨てし子に新米を送りけり  
45 掃苔や妻に問ひたきこと数多