最東峰第二句集『百壽』のことなど

 最東峰第二句集『百壽』は、「初景色」・「種芋」・「箱眼鏡」・「百壽」・「みそさざい」の五編から成っている。その第一句集『ひむがし』は、平成十年に刊行されており、それ以降の、平成二十一年までの、およそ十年間の作品(今井剛一選の二百余句と自選の百余句)が収載されている。

 第一句集『ひむがし』の口絵(写真)に、昭和四十三年の「歌会始預選歌」入選作が紹介されていた。その「預選歌」と同じ主題と思われる「風土詠」を、今回の第二句集『百壽』の各編から一句を拾い、それらを「預選歌」の一首と並列して見ると次のとおりである。

 川すでに光りそめたり果樹園の

  ゆきばれに来て妻とはたらく  (第一句集『ひむがし』所収「預選歌」)

  

  見馴れたる山河まぶしき初詣    (第二句集『百壽』「初景色」)

  川上へ風のさざなみ芦の角     (第二句集『百壽』「種芋」)

川はいま海への途中麦の秋 (第二句集『百壽』「箱眼鏡」)

那珂川に青瀞いくつ下り鮎     (第二句集『百壽』「百壽」)

生み立ての牛に産気のやうな雪   (第二句集『百壽』「みそさざい」)

これらの作品に接して、その第一句集『ひむがし』の「序」(今瀬剛一)の「栃木県のその東を背負って立つ」俳人という思いを実感とする。そして、それは、那珂川と八溝と、そして、遠くの那須の連峰との、その山河から、その風土から「生まれ出る」、珠玉のような十七音字という思いでもある。そして、その背景には、「預選歌」の「和歌優美」の「やまとことば」の美しい調べが、「雪晴れ」ではなく「ゆきばれ」が、「働く」ではなく「はたらく」が、「既に」ではなく「すでに」が、「染めたり」では「そめたり」が、その「和歌優美」に対する「俳諧滑稽」が、今回の第二句集『百壽』に接して、その躍動している様を、「初詣」・「芦の角」・「麦の秋」・「下り鮎」・「産気のやうな雪」の、その俳諧の発句の骨法の「季の詞」の「思い入れ」に、歌人・斉藤穂とは別な、俳人・最東峰の雄姿を垣間見る思いがするのである。