最東峰第二句集『百壽』鑑賞(その一)

一 唵阿毘羅吽欠蘇婆詞四月尽(おんあびらうんけそわかしがつじん)

「序に代えて」の前書きのある一句である。「あとがき」を読むと、「おんあびらうんけそわか」の詠みで、「真言で功徳あれ、成就あれ」の意とのことである。最東さんの家が真言宗なのかどうかは知る由もないが、「歌会始」の預選歌に輝いたこともある最東さんは、「和歌優美、俳諧滑稽」ということを、他の俳人の誰よりも、熟知し、それを実践し続けている方である。第二句集『百壽』の上梓(発行年月日=平成二十一年四月二十八日)にあたって、その「四月尽」(季語)に、「唵阿毘羅吽欠蘇婆詞」(おんあびらうんけんそわ)、「功徳あれ、成就あれ」と祈願する…、そんな「序に代えて」の一句なのであろう。何とも、意表をつく、最東さんらしい、「序に代えて」の一句である。しかし、「俳諧滑稽」を地で行く最東さんは、そんな、大上段の鑑賞だけではなく、例えば、テレビドラマの「風林火山」の上杉謙信が、護摩を焚いて、「唵阿毘羅吽欠蘇婆詞」(おんあびらうんけんそわ)、「唵阿毘羅吽欠蘇婆詞」(おんあびらうんけんそわ)と、一心不乱に唱えている、そんなことが、この句に潜んでいるような、そんな「軽み」の一句という雰囲気もするのである。

二 死ぬ勇気生まれる元気年新た (初景色)

 「死ぬ勇気」「生まれる元気」とは、最東さんの発見であろう。余命幾ばくもない亡き伯母が、「お産も大変だが、死ぬのはもっと大変だ」と言ったのを記憶しているが、どういう死であれ、「死は勇気」の世界のものであろう。そして、「生まれる」、生の誕生は、「元気」の世界のものであろう。こういうことを、ずばり、新年の「年新た」に、「死ぬ勇気」「生まれる元気」と喝破する、俳人・最東峰さんは、やはり、「和歌優美」に対して、「俳諧滑稽」の何たるかを知り尽くした方という思いがするのである。

三 月の兎山の兎と年迎ふ    (初景色)

 最東さんの句はどれも平明な表現のものに徹しているが、どの一句をとっても、「そうなのか」と思うような、いわゆる、言外の隠された世界というものが、何とも魅力的なのである。この句は、「月の兎」「山の兎」「と」「年迎ふ」で、この「と」が絶妙なのである。「月の兎と」また「山の兎と」、この新しい「年(を)迎ふ」なのである。「月の兎」とは、子どもの頃によく聞かされた、「月に兎がいる」という伝説(『今昔物語』)や、『枕の草子』などに出てくる、「雪月花ノ時最モ君ヲ憶フ」(『白氏文集』)というようなこと、そして、「山の兎」は、文部省唱歌の「故郷」の「兎追いし彼の山」の、あの「山の兎」が思い出されてくるのである。最東さんは、月を見ては、「亡き友ら」を思い、そして、眼前の八溝の山々を見るたびに、「兎追いし彼の山」の、なつかしい「旧友」を偲びつつ、それらの「友垣」と「新しい年を迎える」というのであろう。