石田よし宏『栃木俳句会・月々のことば』の謎

                     

俳句実作においては、まず、何かしらの心を動かすもの(感動)があって、始めて、それを句にしようとする意欲に駆られるのであろう。そして、俳論なり鑑賞論の最初は、まず、ある気にかかる関心事や疑問などが、心の中に拡がってきて、その思いを散逸しないように、一つの形にしておこうとすることから出発する場合が多いのではなかろうか。  
 石田よし宏の昭和六十年から平成七年までの、氏の、その時々の思いの、その吐露のような、その『栃木俳句会・月々のことば』も、いわゆる、俳論なり鑑賞論の、そのスタート点を提示するものであって、その結論とか、これからの発展方向とか、そのようなものは予定していない、その時々の、氏の生(なま)の思いそのものということができよう。  この、氏の、俳諧(連句・俳句・川柳、特に、俳句について)に係わる、その生の思いを目にする時、つくづく、俳諧の世界の未知なる不可思議な部分に自分自身が埋没してしまうような錯覚に襲われる。        

これは、疑問点などという生易しいものではなく、答えのない、いわば、「俳諧のさまざまなミステリー(謎)」のような、そんな世界という言葉が相応しいであろう。その氏が提示する「俳諧のさまざまなミステリー(謎)」について、これまた、その思いが散逸しないように、その一端を書き留めておきたい。                                  

「土着の心で詠う」ということの謎                        

「旅行吟はその土地の土着の心で詠う、日常吟は旅の心で詠う」(昭和六一・八)と、これと同一趣旨のものが、昭和六二・八にも見られる。この「土着の心で詠う」の、この「土着」というのは、はなはだミステリーな、意味のはっきりしない厄介な代物である。     

例えば、「芭蕉の土着性と蕪村の空想性」〔「文学(一九八〇・三)」所収「江戸俳諧を読む(尾形仂・大岡信・飯田龍太の座談会)〕というように、この「土着(性)」という言葉は使われる。         
 そして、飯田は「土着性は、日本人の詩精神のなかではたいへん大きな魅力で、ずっと新しい世代に引寄せてみれば、斎藤茂吉のような形にも変貌する。これに対して北原白秋は多分に蕪村的に思います」といい、尾形は「俳句の短い詩型で、時代によっていろいろな表現の仕方がありながら、なおかつドキッと感じさせられるのは、やはり日本の風土のなかに流れてきた時間が、その一句のなかにパッと吹き出していて、そこに触れることができるからじゃないかと思います。ですから、土着性の根に深く突き当たった句が名句として残るのじゃないかと思う」といい、更に、飯田が「萩原朔太郎がその土着性を嫌悪したところに、彼の詩境の鋭さがあると思う」と続けるのである。            

「土着」の本来の意味は、「その土地に根付く」ということであろうが、「芭蕉の句には土着性がある」という時には、「芭蕉の句にはリアリテイ(現実味)がある」というニュアンスに近いものとなるらしい。そして、そのリアリテイ(現実味)というものは、その芭蕉がその句を作句した時の、その土地の風土的なものが透視できるが故に、そのリアリテイ(現実味)を有するということを意味するらしい。          

ここで、「土着」と「風土」と「リアリテイ(現実味)」という三つの得たいの知れないものが、複雑に絡みあってくる。そして、何処までいっても、「土着」というものは、その外側での風姿しかその姿を見せず、その本性はつかめないような、そんな感じなのである。はなはだ、「土着の心で詠う」ということは、ミステリーな、深い霧の中で、もやもやと蠢いている、そんな得たいの知れない魔物のような存在に思われてくるのである。
                    

「土着詠」と「土俗詠」とをめぐる謎                       

「島にゐて島になじまず海桐(とべら)の実(松本文子)」、この句について、「土着の心でしっかりと佐渡を把えて揺るがない」と石田はいう(昭和六二・八)。さしずめ、この文子の句は「土着詠」というような世界のものなのかも知れない。一方、増山美島の俳句について、「巧妙な土俗詠に特色がある」(『俳文学大辞典』所収「増山美島」についての宮坂静生の解説)という指摘にも出合う。          

さて、またまた、「土着(詠)」に関連して、得たいの知れない「土俗(詠)」という厄介な謎めいたものが登場してくる。この「土俗(詠)」の意味するところのものは、「風土・風俗・風習(にかんする諷詠)」というようなニュアンスのものなのかも知れない。                

いや、この「土俗詠」という言葉の創始者の宮坂静生は、芭蕉・蕪村・一茶に精通する俳文学者でもあり、そして、増山美島については、その「鷹」で切磋琢磨した連衆の一人でもあったことからしても、この「土俗詠」というのは、いわゆる、「土着」と「通俗」と

諷詠」との合成語のように思われるのである。「土着」そのものがミステリーのままなのに、更に、これまた、ミステリーそのもののような「通俗」とか「諷詠」とかが来たら、これは、下手な詮索はしないで、ミステリーのミステリーとして、そのまま、その言葉を鵜呑みにする他は術がないのかも知れない。 ということで、石田が「土着詠」の典型とする一句と、宮坂が「土俗詠」の例句とする一句を並列して、それを味わう他には方法はないようなのである。          

○夫婦して餅が食べたく芒の穂(美島)  

○島にいて島になじまず海桐の実(文子)